盲ろう通訳者のコラム ― 触覚で見る世界 ―
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ここは触覚(手)で私がどのように周囲の世界を捉えているかについてご紹介するコーナーです。
日常体験することの中から、面白いと思われるテーマを選んでお話していきたいと思います。
あくまでも私一個人の体験です。視覚障害者一般に当てはまるものではないことをご承知おき下さい。
触覚で見る世界
第1回 手で触るのと絵で書くのは違うの?
小学校2、3年生のころだったでしょうか。
あるとき、図工の宿題で身の周りにあるものを描いてみようという課題が出されました。
何を書こうか考えて、家の外にあった灯油用のタンク(円筒形)を描いたと記憶しています。
ところが、です。絵でどう表現してよいのか判らなくなってしまったのです。
円筒を手で触ると裏側まで届きます。
ぐるりと周囲をさぐると、どこも同じように膨らんでいてしかも同じ厚みの丸い形をしているのが判ります。それをどうやって絵に描けばよいのだろう、と悩んでしまいました。
さあ、どうしても描けません…。とても困ったことを覚えています。
結局家族が見かねて、目で見たときの円筒を描いてくれたのだと思います。それを模倣してなんとか仕上げて提出しました。
ところで、円筒は上から見ると円として描かれます。また正面から見ると正方形として表されます。
その正面に立って抱くように手を回りこませて触ると、「丸いもの」として知覚します。子どもの私に言わせると、「どこにも四角はないよ」ということになります。
後になって、光の加減や見る位置によって、円筒を正面から描くときは四角く表現するのだと教えられました。
同じものなのに、触ったときの感じと絵で描かれたときの様子はずいぶん違うんだなあと子供心に不思議でした。
今考えると、この体験が「触覚と視覚の違い」に目を向けるきっかけだったのかもしれません。
第2回 杖で探りながら…
雨のとき、傘をさします。
大きな傘だと、だいたい頭の横幅の2倍ぐらいの大きさになります。
折りたたみ傘なら、そんなに大きくないですね。
駅やコンビにの入り口で傘を開くとき、周りの方にぶつからないよう気をつけます。
それは、私たちの頭の大きさに加えて、傘の幅にも気を配って、周囲に注意をはらっているためです。
知覚心理学の分野では、私たちが道具を手に持ったり車に乗ったりする際、自分の身体イメージを延長させることが知られています。
自分の体の大きさだけでなく、傘の幅や車の長さに自分のボディー・イメージを拡大して注意をはらっているということです。
たとえば、車庫入れのとき、何度もハンドルを切り返して左右の壁にぶつからないように気をつけるというのもその例かもしれません。
私はいつも白杖を突いて歩いています。
杖の長さは1メートル半足らずでしょうか。
そうすると、手の長さプラス杖の長さで、2メートル余りの長さになります。
人ごみをよけながら、路上に置かれている看板や自転車を避けながら、ふと考えます。
「ぶつからないようにするには、少なくとも2メートル以上手前から注意していないといけないんだなあ。」
そう思うと、私の目(ここでは手と杖)はけっこう「視力」が良いのかもしれません。
第3回 平仮名は小さく、漢字は大きく?
私が平仮名を教えてもらったのは、5歳ぐらいだったと思います。
そして小学校低学年のころまで、漢字の読み書きを習っていました。
触覚だけでどうやって文字を覚えるのかと思われるかもしれません。それには便利な道具があるのです。
レーズライターといって、特殊な紙にボールペンで文字を書くとその部分が線になって浮き上がります。
それを指でなぞることによって、文字の形を把握するのです。
第1回目のコラムでお話した絵も、このレーズライターを使って書きました。
さて、平仮名と漢字のどちらが難しいかというと、それはやはり漢字です。
目が見える方でも、角数の多い漢字は複雑で読み書きが大変だと聞きます。
私も一緒です。平仮名は形の輪郭が判れば覚えられます。でも、漢字は細かくて手で触るとゴチャゴチャしていて判別しにくいものもあります。
たとえば「い」と読む漢字の中から2、3例を挙げてみます。
比較的簡単に判る文字:衣(衣服のい)、位(位置するのい、くらい)、異(異国のい、異なる)
細かくて難しい字:威(威圧・脅威のい)、偉(偉人・偉大のい、偉い)、違(違法・違反のい)、慰(慰労会のい、慰める)、緯(緯度・経度のい)
※視覚障害の方にも判るように、漢字の意味を括弧書きで添えてみました。
人間は自分の身体のイメージを心の中にもっているといいます。このイメージを「表象」と呼んでいます。
自分の手のイメージを比べると、晴眼者より視覚障害者の方が大きいという研究もあるようです。それは、目でものを見る代わりにいつも手で触れているので、手に大して常に注意を向けているためだとされています。
そして、点字など幅の狭い点の配列を間違えて読み取ってしまうこともあるそうです。
複雑な形の漢字を触るときに判りにくいというのは、この辺りの事情もあるのかもしれません。
これについてはまだまだ勉強中です。
とても興味深いテーマなので、いつか詳しい研究についてご紹介したいと思っています。
私の場合、レーズライターで書かれたもじの中で平仮名や片仮名、簡単な文字は3センチ×3センチの大きさでも読み取れます。
しかし、角数が多い字や薩(薩摩のさつ)のように構造の複雑な文字になると、5センチ×5センチぐらいでないと判りません。
もしも目の見えない方に触角で文字を伝えることがありましたら、普通の字より少し大きめに、そして辺とつくりなど字のパーツ(かたまり)の間を少し空けていただくと有難いです。
余談ですが、言葉で字の形を表す方法も書いておきます。これは家族が編み出してくれました。「異なる」という字はこうなります。
まず、上に田んぼの田を書きます。
その下に、田の横線と同じ長さの線を引きます。そして、もう少し長い横線をその下に引きます。漢数字の「二」のような感じです。
次に、最初の短い横線の上から頭を出して、縦に二本線を書きます。長い方の横線の下までで、突き抜けません。
最後に、長い横線から少し離して、左と右に片仮名の「ハ」を書きます。これは先ほどの二本の縦線それぞれの下に書くようにします(縦線と片仮名「ハ」の位置関係の説明)。
上で「簡単に判る」と書きました。でも言葉で説明するのはこんなに大変なんですね…。「田」や片仮名「ハ」という手がかりがなければ、もっと困難です。
本当に暇なとき、一度、日ごろ使っている漢字をこのように分解して声に出しながら書いてみるのも面白いかもしれませんよ。
第4回 銀河に触れた日
もう6、7年前のことです。
当時私は宇宙というものにとても興味をもっていました。特に、銀河や星雲がどんな形をしていてどのように活動しているかということに関心がありました。
ある日、天文に関する本を買いました。
そこには、宇宙望遠鏡で撮影された珍しい銀河の写真がたくさん掲載されていました。
そこで、友人にお願いしてその中の幾つかをレーズライターという特殊な紙に書き取ってもらいました。
レーズライターというのは、ボールペンで書かれた絵や文字が浮き上がり、触覚でその輪郭を捉えられるようにしたものです。
さて、描いてもらった銀河は私が想像していたものよりもはるかに複雑なものでした。
ある軸の周囲を何個もの銀河がグルグル回転している絵。
銀河同士が激しく衝突している現場。線がゴチャゴチャと入り混じっているものを想像していたのに、実際はその形の美しさに感動しました。
そして、真っ暗な空間にまばらに浮かんでいる数個の銀河の様子。一枚の紙の上、空白の中にポツン、ポツンと描かれている点。それが一つ一つの銀河を現しています。なんだか寂しい気持ちになったのを覚えています。
何枚かの絵を見ましたが、触覚で捉えた銀河にいたく感動したことが忘れられません。その友人には今でも感謝しています。
目では絶対に捉えられない宇宙の様子をほんの少し垣間見れたのですから…。
また同じような本を買って、もう一度銀河の世界を旅してみたくなりました。
第5回 手印で見分ける身の周りのものあれこれ
私たち視覚障害者は、日々の生活の中で様々なものに触れています。そこから得られる情報を工夫していろんなものを識別しています。
今回は身近にあるものの中から、どのようにものを見分けているのかについて具体例を出してお話しします。
ここに紹介したものは、「これどうやって見分けてるの?」とよく尋ねられるものの中から選んでみました。
・小銭の数え方 大きさ、ザラザラ感と穴の有無
1円は10円よりも小さいです。100円と50円はザラザラしています。そして、50円と5円には穴がある(5円のほうが大きい)。500円は一番大きいのですぐ判ります。
・カードの向き 窪みまたはザラザラ感
キャッシュカードやお店のポイントカードなどでは、文字の部分がザラザラしています。また、テレフォンカードやパスネットなどでは一方の端に切り込みが入っています。
・軽量カップ、炊飯用のお釜 内側にある目盛り
軽量カップでは50ccごとに、またお釜では半合ごとに目盛りがふられています(一合ごとに少し長い線が入っています)。
・ポンプ式シャンプーとリンス デコボコの有無
ほとんどのシャンプーの容器では、ポンプの頭の部分にデコボコした突起があります。リンスにはこれがありません。
・カセットテープのA面とB面の区別 穴の数または穴の長さ
両面とも上部に、左右2個ずつ穴があります。A面では、真ん中の下辺りにもう一つ空いています。最近のものでは、同じ場所に横長の穴が空けられています。
・CDの表裏 ザラザラ感と細い溝
文字が書かれている表は触るとザラザラしています。裏にはツルツルで、丸い穴の周りに細い溝のようなものが感じられます。
・リモコンのボタンの位置 配置と形状
たとえば、電源ボタンは右上か左上にあります。そして、スタート/停止などはリモコンの中心にあるか、出っ張っています。
このように身の周りにあるものでも、いろんな目印ならぬ手印があります。
私は普段それをうまく利用して、向きや場所を間違えずに使いこなしています。
第6回 触手話の奥深さ
最近手話の勉強をしています。
聾の方、盲ろうの方で日常的に手話を使っている方にとってなくてはならないものです。
以前聾の方を主人公にしたドラマが放映されました。また、NHK教育テレビの「手話ニュース」をご覧になった方もいらっしゃるのではないでしょうか。
それをきっかけにして手話を習いはじめた方もいるかもしれません。各地に手話サークルもあります。
私たち視覚障害者は手話に触れる機会がなかなかありません。 手話は目で見て覚えていくものと考えられるからです。目で見ることができなくても、実は手話を学ぶ方法があるんです。
手話を使っている人の手に直接触れて、その動きを読み取るのです。「触手話」(しょくしゅわ)と呼ばれる、手話表現の一つです。 この触手話で会話をしている盲ろうの方もいらっしゃいます。
手で触れて手話の動きを読み取り、一つ一つ覚えていった手話。
そのいくつかをちょっと紹介してみます。
「挨拶」・・・両手の人差し指を立て、あとの四本は握ります。
上に立てた人差し指の腹を向かい合わせます。その状態で、指先(第一関節)を少し曲げます。
人が向かい合って立ち、頭を下げて挨拶しているところを表しています。
「こんにちは」の意味にもなります。
「ありがとう」・・・左手を、手の甲を上にして指先を前に向けます。
右手を開きます。の小指の外側が下に向くようにします。正面から見ると、親指から小指の先が上から下に縦に並んでいるかたちです。その右手を、左手の手の甲に2、3度軽く打ち付けます。
力士が行司からお金をもらうときの「ごっつぁんです」からきているそうです。
ちなみに、2、3度続けて打ち付けると「料理」の意味になります。 左手の手の甲がまないたに、右手の小指の外側が包丁に変るんですね。
「元気です」・・・まず、両手で握りこぶしを作ります。てのひらが真下に向くようにし、お腹の両脇の辺りに置きます。両脇に付けなくてもよいです。その両方の握りこぶしを上下に2度、3度と振ります。力が充実している、という意味からきているのでしょう。
この手話のあとに、やはりてのひらを真下に向けた右手を上から下に少し動かします。
「です」の手話になります。「元気」「です」と続けて、「元気です」になります。
「です」の手話は、話の区切りをつける、物事が収まる感じでしょうか。ちなみに、「元気」の手話は他に「生きる」という言葉も表します。
「雨」・・・片手の人差し指、中指、薬指を出してあとは握ります。それを上から下へ数回動かします。雨が空からスーッと落ちてくる様子からきています。
それにしても、今年は雨が多いですね。
このように、手話はいろいろな仕草からきています。
手で直接触れて学ぶので、元の意味がすぐ判ることが多いです。特に「料理」はそうですね。
「大事、大切」・・・てのひらを下に向けた左手の手の甲を、開いた右手のてのひらで丸くさすります。
頭をなでるところからきているようです。子どもを大切に育てるように、物事を大事にするという意味です。
手で触れて覚える手話は、見て覚えるものとは一味違った奥深さがあります。
第7回 水晶から学んだ飽きない心
石細工が売られているお店に出かけたときのこと。
水晶で作られた携帯電話用ストラップ、アメジストを加工したブレスレットなどが棚に並べられていました。
それらの棚から少し離れたところに、水晶の原石が置かれていました。置時計ぐらいの大きさで、かなり重そうです。お店の方にことわって触らせていただきました。
石を二つに割ったような形です。断面に小さな水晶の結晶がとてもたくさん並んでいます。
それぞれの結晶は周囲が2、3cmあるかないか。
手のひらで触るとゴツゴツした突起が集まっているように感じられます。
今度は指先で一つの結晶に触れてみました。先端が少しとがっています。
隣の結晶に移ります。こちらは先端が少し欠けていて、後ろの部分がポッテリしている感じ。
同じように見える結晶でも、一つ一つ異なった特色をもっていることに気づいたのです。
一つ一つ丁寧に見ていたら、十分ほど時間が経っていました。あまり売り物をいじるのも悪いので、その場から離れました。触っていて飽きないものに出会った喜びに浸りながら。
あの原石を買って自分の部屋に飾りたいなあと思いました。結晶は何百個もあったでしょう。形が違う結晶を一つ一つ眺めることができたらいいなあ。でも、何万円もするからとても買えそうにないし…。
名残惜しい気持ちもしましたが、「触れてよかった」と晴れやかな気持ちになってそのお店を後にしたのでした。
小学生のころ、知り合いの方に蜂の巣をもらったことがあります。
丸い大きな巣のあちこちに小さな穴がたくさん空いていました。その当時は「穴がいっぱいあるなあ」と思ったらすぐに飽きてしまいました。
後になって、テレビで蜂を取り上げた番組を見ました。あの小さな穴は幼虫の部屋で、一つ一つ形が違うそうです。巣を触ったとき、もっとよく見ておけばよかったと思いました。
今ではなにを触っても飽きることがありません。同じ企画や材質の製品でも、触れたときになにかしら違いがあると思うようになったからです。
たとえば、同じ規格のパイプ椅子を触ってみます。一つは背もたれのパイプに小さな傷がついている。隣の椅子は座部が一箇所破れている…。座ってみても、角度が微妙に違っています。
水晶の原石に触れてから、身の回りにあるものに個性があることを知りました。その個性を見つけてそれを楽しんでいます。
同時に、人間一人一人の個性を大切に考えるようになりました。そして、出会う人それぞれに合った会話をし、それを楽しむようにもなっています。
第8回 一瞬の触れ合いが心を通わせる
私はものに触れるとき、じっくり観察するほうです。上から下、左から右、表から裏までしっかり触るように心がけています。隅々まで触れないとそのもの全体の形や材質を捉えられないからです。
しかし、どうしても全体を触れられないものもあります。生き物、特に小動物です。
初めてタニシに触ったときのこと。私の地元には田畑が多く、田んぼでタニシをよく見かけたものです。
小学校の教室でタニシを飼育していました。近くの田から取ってきたのでしょう。タニシはカタツムリのような体形で、小さな角をもっています。しかし、警戒心が強いので近づくと出していた角を引っ込めてしまいます。
ある日、担任の先生が私に「タニシが顔を出したよ」と教えてくれました。そっと水槽の近くにいって、先生と一緒に手を入れました。僅か数ミリの角に私の指先が触れました。
そのとたん、タニシは角を引っ込めました。指に触れたか触れないか、でも軟らかい感触はしっかりと残っていました。顔(角)を出してくれたタニシと、貴重な瞬間を教えてくださった先生には今でも感謝しています。
動物園でリスザルに触れたときも感動的でした。その園では、リスザルの檻に入ることができ、専用のえさをあげることができました。
手にもった袋からえさを取り出し、金網の柵のところに手を置きます。すると、キーキーと鳴きながら猿が金網を伝って上のほうから降りてきます。えさをもった私の手に、長い尻尾が触れます。そして小さなかわいらしい手が手のひらに触れたかと思うと、すばやく
えさをもっていくのです。猿の暖かさ。えさをつまむ細い指は、まるで鶏が嘴でつつくような感じでした。
えさをあげる度に猿の手が私の手に触れます。それを繰り返すうち、手の大きさやつくりが少しずつ判ってきます。指は5本あり長く、手のひらはやや広めで下。人間の手とよく似ていることに気づいた貴重な体験でした。
もう一つ、忘れられない体験があります。
ある野鳥観察公園に行ったことがあります。そこでは、野生のエナガにえさをあげられのです。手のひらにえさを置いて腕を伸ばし、動かさずにじっと立っているとエナガが手に止まるということでした。興味をもったので早速えさを購入して試してみました。
えさはなにかの種だったと思います。数粒手のひらにとり、手を体から離して固定します。
顔に近すぎると野鳥が怖がって近づかないからとのことでした。
腕を真直ぐに伸ばして待つこと10分。突然中指の先を何かがつかみました。横にいた人が「エナガがあなたのところに来て、えさをもって飛んでいったよ」と教えてくださいました。何かに指をつかまれたと感じたのは、エナガが両足で指先に止まったからのようで
した。一秒にも満たない時間でした。しかし、生まれて初めて野鳥に触れた瞬間でした。
この経験も一生忘れることはないでしょう。
第9回 触覚で幸せを感じる瞬間
毎日たくさんのものに触れながら生活しています。ふと、私は触ることで幸せを感じることってあるかなあと考えてみました。目の見える方は綺麗な色や美しい景色や人の笑顔など、さまざまなものを見て幸せを感じるといいます。それで、私はどうなのだろうと考
えてみました。
私の場合手触りで綺麗とか美しいとか感じることはないようです。触ったものそのままの触感を楽しんでいるようなのです。ゴツゴツしたものもスベスベしたものも、どちらも「いいなあ」と感じて楽しみます。
では、手にとることで気に入ったものはあるかというと、あまりこだわりがないようです。文房具店に行ってボールペンを買うとします。「この手触りのペンでなければ嫌だ」と思うことはありません。持ちやすさで決め手いるのです。
私にも幸せを感じることがありました。人と握手をするときです。初めてお会いした方と挨拶するとき。久しぶりに会った人と再会を喜び合うとき。その人としばしのお別れの挨拶をするとき、「また会いましょう、お元気で」と声をかけながら。私は握手をします。
温かな瞬間。人の温かさをもっとも感じるときです。「こうして交流できてしあわせだなあ」。その思いをかみしめながら私は目の前にいる人の手をしっかりと握るのです。
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